Conceptual Arts

脳と樹木 ―根は同じ― 
Brain and Tree : They Share the Same Structure

 樹木などの植物は一粒の種から大きな樹木に育っていく。それらの樹木は、地中に深く、長く、複雑に根を張り、強い風の中でもしなやかに成長している。そのような樹木を支える根は、まるで人の脳における記憶の連鎖のようである。
 樹木の根は、固い岩盤を避け、柔らかで膨よかな部分に根を伸ばし、やがてその岩盤すらも根で包み込み、地上の幹や枝、葉がさらに大きく成長できるように、広く深く複雑に根を伸ばし続けていく。まるで、人が「意識」しながら学習を繰り返し、「無意識」の知識の根を複雑に伸ばし続けていく姿と同じである。人が人らしく知的な活動を続けていくためには、樹木における根のような活動がとても重要であり、やがてそれは人の進化に結びつくものである。(2016.4.1)

Copyright© 2016- OZAKI & Richard A. GUMTO Laboratory. All Rights Reserved.

意識と無意識の融合 ―超越的な知的活動―
Fusion of Consciousness and Unconsciousness:
  Transcendental Intellectual Activity

 人の知的活動は「意識と無意識の融合」であると仮定する。動物が示す生得的な活動の多くは「無意識」的な活動であるが、高度な知的環境の中で生きている人間にとってそのように単純で「無意識」的な活動はそれほど多くないと考える。
 たとえば、「りんご」を食べるときにただ「りんご」の食感のみを感じて「りんご」を食べているわけではない。過去に食べたとても美味しい「りんご」を思い出し、その「りんご」をくれた人や一緒に「りんご」を食べた人などを懐かく思い出す。さらに「りんご」に関する書籍や童謡などの知的な記憶を呼び起こすこともあるだろう。
 そのように人の知的活動においては、日常的に「意識と無意識の融合」または「無意識」と「意識」の「超越的な知的活動」が起きている。我々が考える「無意識」と「意識」とは、人の知的活動における状態を示しているのであり、それらの構造的な区別を明確にすることは困難である。常に人の知的活動は「無意識」と「意識」の「超越的な知的活動」であり、「無意識」から「意識」に向かう「超越的な意識状況」が人の知的活動そのものである。そして特定の知識活動において繰り返し「超越的な意識状況」が継続されることにより、やがて「無意識」的な状況に組み込まれて「意識と無意識の融合」が起きる。
 そのような「意識と無意識の融合」そして「超越的な知的活動」をモデル化することが、我々が目指している人工頭脳の第一世代である。(2016.4.1)

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箸の文化とフォークの文化
―人生や社会、企業戦略を考える―

 (異なる2つの視点で考える)
 「箸の文化」では、すべての食事たとえば味噌汁のようなスープであっても箸のみで食事をする。「フォークの文化」では、出される料理に合わせて食器具を替え、その都度、フォーク、スプーン、ナイフなどを使い分けて食事をする。箸の文化圏やフォークの文化圏では、長い歴史の中からそれぞれ合理的な仕組みで食事をしているのである。
 2つの文化の本質的な違いは、それぞれの文化における視点つまり自己の立ち位置の違いにあると考える。「箸の文化」では、食材や食器などその対象を自分と同じ側つまり自己と対象を区別しないで、自己と同じ視点で考える。「フォークの文化」では、対象を自分の対局つまり自己と分離して対象を観察しやすい視点で考える。そのように自己が観察する視点が大きく異なるため、「箸の文化」と「フォークの文化」では同じ対象であっても全く異なる結論を導き出すことが多い。
 「フォークの文化」にもとづいた視点では、自己を対象から分離することで主観的な価値観を排除できるため、より客観的な判断を行うことができる。しかし、地球規模でグローバル化しかつ混沌とした社会情勢の中では1つの正解を導き出すことは困難であり、多様に変化する社会状況に対して複数の視点から、複数の戦略を準備して臨機応変に対応することが求められる。つまり、対極にある2つの視点つまり「フォークの文化」的な思考を用いた合理的な視点と「箸の文化」を用いた主観的な思考の視点から、いずれの視点が戦略的に有効であるか、また2つの視点を組み合わせた複合的な視点から戦略を構築すべきであるか、より戦略的な視点が必要である。
 2つの文化を併せ持つ考え方は一見ご都合主義に思えるが、幾多の文化が鬩ぎ合う地球規模でグローバル化した社会においては実に合理的な考え方である。「箸の文化」と「フォークの文化」は、全く異なる対極にある価値観を示した「ラベル」であり、その「ラベル」の意味を深く理解する必要はない。大切なことは2つの文化の違いが全く異なる対極の価値観である点であり、この2つの文化を同時に使い熟すことである。
 多くの経営者が、合理的な経営理論や客観的な企業データの分析を駆使した経営に依存し、経営者自身の潜在的な主観を混在して経営戦略を決断していることに気づいていない。経営戦略の決断は、対極にある2つの文化を明示的に意識することが求められる。実際に、それを無意識に使い熟した先人が存在していたことも忘れてはならない。(2015.1.24)
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(優良企業を崩壊から守るために)

 グローバルな情報社会においては、常にナンバーワン企業のみが生き残るという劣悪な経済環境にある。5,6年前まで世界的に最先端の技術を誇示していた企業が他国に買収され、日本の超優良企業が倒産寸前の企業に墜落しそうである。これからも、我国において超一流の優良企業がやがて同じ命運を迎えることになる可能性がある。
 まるで海図のない未知の航海において、次々に座礁するマンモスタンカーのようである。すべての企業は、ブローバルな世界観から価格競争と新商品開発などの同じ経営戦略で凌ぎを削っている。まるですべての企業が「フォークの文化」中で生き残りを賭けた戦略ゲームをしているようであり、そのような経済環境の中では常にナンバーワン企業のみが勝者となるであろう。
 すべての企業の経営者は、一度立ち止まり、それぞれの企業がおかれている立場を対極の視点から考え直すべきである。自社自身や自社を取り巻く経済環境、自社商品や顧客などあらゆる立場において「箸の文化」の視点から、一度、真剣に経営戦略を考えるべきである。そして、「フォークの文化」において構築された現在の経営戦略と比較することが重要である。しかし、決して1つの文化的視点に固執すべきでもなく、グローバルで複眼的な戦略視点を持つべきであり、そのとき最も重要な戦略は異なる文化における対極の視点の立ち位置である。どの足場に立脚し、どの文化的な視点から経営戦略を考えるべきかが重要であり、それを間違えたときに大きな戦略錯誤を引き起こすことになる。(2015.6.10)
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(情報システム戦略について)

 今日の企業活動においては、他社に先駆けた情報の選択と企業戦略の構築に向けた情報システムは欠くことのできない企業インフラである。さらに人工知能を用いて情報システムを進化させる戦略は、企業の生き残りをかけた最先端の企業戦略になりつつあり、まさに「フォークの文化」の視点における経営戦略である。企業活動において最先端の情報システムも重要であるが、情報システムだけでなく企業を支える社員や企業資産、そして顧客や社会的な信頼も必要不可欠な企業の構成要因である。しかし、「フォークの文化」の視点では、情報システムのみがその対象であり、それ以外の構成要因はその他の要因である。つまり、それらは情報システムを稼働させるために最も効率的かつ合理的な関連要因でしかないのである。
 「箸の文化」の視点から考えると、そのような情報システムの進化は企業を構成する他の要因を置き去りにして進化しているように思われる。将来、企業の中では人工知能を要した情報システムのみが日々進化を遂げており、企業の重要な構成要因であるすべての社員はその進化から取り残されているのである。そして情報システムがさらなる進化と遂げたとき、企業を構成するほとんどの要因は賞味期限が切れている事態に陥る。
 企業を構成するすべての要因の中で情報戦略および情報システムのみが進化しすぎた結果、他の構成要因はそれに適応できない事態に陥ると、未来の企業活動そのものが機能しないことは明白である。「フォークの文化」による人工知能の活用などの情報システムのさらなる進化は必要であり、同時に「箸の文化」により、企業内の人材を始めとするすべての要因を同時に進化させることも重要な視点である。
 情報システムの進化は、企業における全構成要因と同時並行的な進化を伴うべきであり、そのような戦略的な視点が未来に向けた企業を存続させる。つまり、情報システムを進化させる視点においても、「フォークの文化」と「箸の文化」の対極における視点から考えることが戦略的に必要不可欠な時代である。(2015.10.27)
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(商品の価値と戦略)

 「フォークの文化」では、消費者や商品を対局に置き、より多くの消費者に自社商品を購入させることが主戦略であり、そのために商品の価格や販売方法など最適な戦略を構築する。そして、他者よりもより速やかにより安い商品を消費者に提供することを競い合う。そのような企業は、より安くより良い商品を提供するために大量生産と速やかに消費者に届けることで大きな利益を得ることができ、当然、他者に先んじた大規模な企業が勝ち残ることになる。しかし、そのような経営戦略には必ず賞味期限があり、やがて次々と新たな戦略を構築していくことを求められる
 他方、「箸の文化」では、商品を購入する消費者と同じ側に立ち、一人ひとりの消費者がどのような目的に商品を購入したのか、そしてこの商品に対してどのような価値判断をしているのか、そのような消費者の視点で考える。たとえば同じ商品を同じ金額で購入したとしても、この商品に対する価値は一人ひとりの消費者によって異なる。つまり同じ商品であっても消費者にとって、価格以外の価値が付加されることでその商品の価値が異なる。それは、同じ商品からより付加価値の高い商品を提供するための戦略を示唆している。
 多様で流動的な経済社会の中では、「フォークの分野」と「箸の文化」いずれの視点から戦略を構築しても最適な戦略はないだろう。しかし、常に対極にある2つの視点から戦略を立案することにより未来の企業戦略が構築可能である。(2017.1.20)
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(イデオロギーの対立)

 本来、イデオロギーは政治や宗教などの個人的な価値観であり、それを他者に強制しない限りイデオロギーの対立は起きない。しかし、中東地域における紛争難民が大挙してヨーロッパに移住し始めた結果、それぞれの国内で社会的な紛争が拡大し始めている。それは、やがて国内において大きな政治論争に発展していくことになるだろう。
 なぜ、「難民の救済」という人道的な問題がそのように大きな社会問題に発展していったのであろうか。古代から現代に至る世界的な紛争は、すべて宗教や民族、国家間における覇権争いである。ここにおいて、その大きな問題を超えてそれぞれの国々が「難民の救済」に至る過程で、それぞれの国家が配慮すべきことはなかったのであろうか。
 確かに、「フォークの文化」の視点からヨーロッパにおける「難民の救済」は自国において適した方策であったと考えられる。しかし「箸の文化」から考えるならば、自国に迎え入れた「難民の救済」は自国社会の中でどのように受け入れられるであろうか、予め自国社会との融和策を熟慮すべきであったと考える。宗教や民族問題は、過去の歴史から大きな紛争や多量の流血を産み出していることも十分に配慮すべきである。
 「箸の文化」は他者を排除しない視点であり、むしろ他者の立場に立脚した長期的な視点から考える。そこでは、「箸の文化」の視点から他民族の立場に立って国内における融和を図る政策や配慮すべき点を考えるべきである。今日的グローバル社会においては、多くの政治問題や政策においても全く異なった文化の視点から熟慮することが未来に禍根を残さない重要な方策である。(2016.5.4)
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